いたずら

 窓の外が暗くなり、秋の訪れを感じる。今日も慌ただしく時が過ぎていった。バックヤードの扉を閉めた途端、大きな溜息がこぼれる。けれど口角はつり上がっていて、充実感を伴う疲労であることは明らかだ。
 ぺットショップ経営は軌道に乗り、少しずつ黒字を出すようになった。懸命に働く反動で、終業時間になると睡魔に襲われる。
 まだ社員たちは片付けをしてくれているけれど、五分だけ。自分に言い聞かせ、千冬は新調したばかりのソファに身を預けた。
「千冬ぅ、レジ締め終わったぞ」
 瞼を閉じてすぐ、恋人の声が耳に届いた。労ったりくっついたりしたいのに、ソファに沈めた身体は言うことを聞いてくれない。ふわふわとした意識の波を漂っていた。
「いつもお疲れ、社長」
 大好きな低めの声が優しく響く。場地の気配が近くにあるが、寝たふりを続けてみる。すると、てのひらが頭に触れてきた。
「もっと休めよなぁ」
 さらさらと髪を撫でられる。あまりの心地よさに、深い眠りへ落ちてしまいそうだ。手は滑らかに下りてきて、千冬の頬にそっと触れた。
「やらけえ」
 むにむにと指でつつかれる。時々長い髪が首筋を掠めて、くすぐったい。
 このままずっと寝ていたら、どうなってしまうのだろう。期待に胸を膨らませ、石のように固まる。今度はぺたりと頬に、何かをくっつけられた。
「かわいい」
 密やかな笑い声が降る。その後もぺたぺたと頬に貼られていく。千冬は困惑しながら、瞼を震わせてじっと耐えた。
 暫くして声はぴたりと止んだ。指が千冬のくちびるをなぞり始める。ぎこちなく彷徨う手がもどかしく、勢いよく身を起こした。
「わっ……!」
 場地の手首をとらえ、ぎゅっと胸に引き寄せる。二人分の重みでソファが弾んだ。
「起きてたのかよ」
「場地さんが可愛いことするからでしょ」
 逃げる瞳を追うように、顔を覗きこむ。鼻先が触れそうな距離。汗の滲んだ場地の頬は、ほのかに赤くなっている。
「イタズラなら、ちゅーとかにしてほしいんスけど」
「寝込みを襲うわけにもいかねーだろ」
「いつでも大歓迎っスよ、場地さんなら」
 頬に手を伸ばして囁くと、場地は目を伏せて黙り込む。キスをしても良い合図だ。千冬は悦に入り、くちびるを重ねようとした。
「オマエらさぁ、職場でイチャつくなよ」
 触れ合う寸前で、鈴の音が水を差した。もう一人の社員が、じとっとした目つきで見つめている。場地は顔を真っ赤にして、千冬を押し返した。
「イチャついてねえし!」
「一虎くん、後にしてくれません?」
「残業する社員に対して、その態度?」
「すんません、オレが悪かったです」
 わざとらしく頭を下げる。一虎はふっと噴き出して、自身の頬を指差した。
「千冬の顔、おもしれーことになってんな!」
「え?」
「場地がやったん?」
「おう、かわいーだろ」
 二人してニヤニヤ笑っている。その顔は、かつて東卍でよく見た悪い顔だ。千冬はすぐに鏡に目をやると、賑やかな己の顔が映っていた。
「何スか、このシール」
「さっき客からもらった。もうすぐハロウィンだろ?」
 おばけにカボチャ。猫のヒゲまで貼られている。こんな愉快な顔で、キスしようとしていたなんて。じわじわと笑いが込み上げる。
「ウチの店もハロウィンやんね? どうよ社長」
「いいっスね! お菓子用意しましょうか」
「仮装もする? トップクしかもってねえけど」
「それ仮装じゃねえし、客が引くだろ」
 不思議な光景だ。あの日のハロウィンは、悲しい運命を辿ってしまうというのに。今はこうして、三人で笑いあっている。
 千冬はすっかり目を覚まして、背を伸ばす。窓から見える満月は、いっそう輝いていた。