兄弟

 抗争前のピリッとした空気にいまだ慣れない。くちびるを引き結び、次々と集まるバイクの音に耳を澄ました。
「八戒、ここにいたんだ」
 不意に声をかけられ、びくりとする。目を向けると、男は金髪を夜風に揺らして近づいてきた。
「今日はよろしくな」
「こっちこそ。よろしく、千冬」
 壱番隊の副隊長だ。よく知る男だと気付き、八戒は表情を和らげた。
「三ツ谷くんは?」
「妹が熱出て、看病で来れないって」
「そっか。いい兄貴なんだなぁ」
 千冬はそう言って感嘆の溜息を洩らす。兄貴分に向けられた言葉なのに、まるで自分のことのように誇らしい。自然とくちびるが弧を描いていた。
 壱・弐番隊合同で挑む今夜の抗争。突然の隊長不在で顔を強張らせる八戒だったが、千冬と話すうちに気が緩んでしまった。
 松野千冬は、打ち解けると話しやすい男だった。妙に気が合う。学年も、副隊長という肩書きも同じだからだろうか。
「三ツ谷くんいねぇけど心配すんなよ。こっちには場地さんがいンだからな!」
 そして、隊長を心から敬愛するところも―――。蒼い目を輝かせ、拳をぐっと握る。
「千冬はほんと場地くん好きだよな」
「そういう八戒だって、三ツ谷くんのこと好きだろ?」
「もちろん!腐れ縁だけどな」
 八戒は笑って頷き、ポケットを探る。携帯電話を手に取って、得意げに画面を突き出した。
「見ろよ、新しい待ち受け」
「こないだの喧嘩ンときの?」
「記念に撮らせてもらった!」
「カッケェ……!」
 弐番隊が勝利を収めたときの一枚だ。
 写真のなかの三ツ谷は口元を拭い、凛として佇んでいる。尊敬する兄貴分は、ヒーローのような存在だ。待ち受けにすると三ツ谷に見守られているような気がして、八戒は強くいられた。
 画面を見つめ、千冬は微笑んでいた。大抵のひとには引かれるが、この男は違うらしかった。共感を示してくれるのは、きっと千冬も同じだからだろう。
「オレも、最近待ち受けにしたんだ」
 千冬は携帯電話を取り出し、照れくさそうに見せてきた。写っていたのは、やはり彼の憧れのひとだ。
「猫がきて、すぐ場地さんに懐いちまったんだ」
 八戒は写真を見て、目を丸くした。
 場地圭介という男は、目付きが鋭く乱暴で、親しみやすい三ツ谷とは正反対の印象だった。車に火をつけたという噂も聞いたことがある。気性の荒さは実の兄を彷彿させて、近寄りがたかった。
 しかし、写真のなかの場地は、見たことのない穏やかな表情をしている。帰宅途中なのか、塀を背景に猫を抱えていた。
「場地くんってこんな顔するんだ」
「動物好きでさ。すげぇ優しいんだよ、あのひと」
 千冬は画面を撫でながら目を細めた。いつもより甘ったるい声を発していることに、彼は気付いていないのだろうか。八戒は何だかむず痒い心地がして、頬を掻いた。
「三ツ谷くんも優しいよな」
「うん、タカちゃんがほんとの兄貴だったらいいのにって思うよ」
「兄貴かぁ」
「千冬も、場地くんにそう思うだろ?」
「オレは……、場地さんが兄貴なのはイヤだな」
 千冬は曖昧に笑って瞼を伏せた。
 これもまた、意外な反応だった。尊敬するひとと兄弟だったら、きっと毎日が楽しくて、深い絆で繋がれて、幸せなのに。
 首を傾げながら何と言ってやればいいか思いあぐねていると、話題で渦中の人物が目に入った。
「テメーらなに油売ってンだ。気ィ引き締めろ!」
「場地さんっ! すんません、すぐ行きます!」
 千冬は威勢よく返事して、犬のように隊長の元へ向かう。八戒も後に続いていくと、場地の冷たい視線が突き刺さり、背筋が震え上がった。
(やっぱこえぇ……!)
 八戒はポケットに手を突っ込んで携帯電話を握りしめる。心のなかで、ここにはいない兄貴分の名前を繰り返し呼ぶのだった。

 抗争が始まれば、一気に意識が集中する。三ツ谷に任された弐番隊をまとめ上げ、壱番隊の面々と共闘する。八戒は自分のできることを精一杯努め、拳を振るい続けた。
 背中を守る隊員たちは皆頼もしい。思う存分暴れられて、東卍は勝利を収めた。
「終わったぁ」
 八戒は隊員を労った後、人の輪から離れて石段に腰を掛けた。副隊長の重責から解放され、どっと肩の力が抜ける。冷たい風が火照った頬を撫でて心地よかった。
「お疲れ」
 低音の声が降ってきた。見上げるとそこには場地がいて、すぐに居住まいを正した。
「場地くん、お疲れ様です」
「弐番隊の連中に上手く指示出してたろ。三ツ谷不在のなか、副隊長としての働きっぷり、悪くなかったぜ」
「あ、あざっす!」
 場地は隣りに腰を下ろすと、ふっと笑んで八戒の背中を叩いた。
 まさか褒められるとは思わなくて、じんわり胸が熱くなる。まわりの役割を俯瞰して、良い点も悪い点も指摘できる。喧嘩が強いだけではない。千冬を始めとする隊員たちから慕われるのも、わかるような気がした。
「あのさぁ、オメーんとこの隊長なら、何て言いそう?」
「え?」
「だからァ……こういう時、三ツ谷ならどーやって褒めんの?」
 場地は頭を掻きながら、歯切れの悪い口調で尋ねる。群青色の瞳を瞬かせ、八戒はぼんやり思考を巡らせた。
「タカちゃんなら『よくやったな、八戒!』って撫でてくれます」
「撫で、か」
 場地は口元に指を添えながら、オレもやってンのに、と呟く。三ツ谷のように撫でてくれるのかと思いきや、それは違うらしい。思い浮かべる相手がいるようだった。
「もしかして、千冬っスか?」
 図星だったらしく、場地は否定せず小さく舌を打った。
「オマエたち呼びに行った時、話してんの聞こえてた」
 ばつの悪そうな顔を向けられる。会話の内容を思い出そうとすれば、心当たりのある言葉が、ひとつ脳裏に浮かんだ。
『オレは……、場地さんが兄貴なのはイヤだな』
 千冬らしくない言葉。会話の最後のほうが、場地の耳にも届いてしまったのだろう。
「場地くんは、千冬の兄貴分になりたいんスか?」
「そういうわけじゃねーけどよォ。アイツには好かれてると思ってたから、ビビっちまった」
 場地は自嘲気味に笑って肩をすくめる。凛々しい隊長の顔ではなく、年相応に傷ついた男の顔をしていた。
―――千冬が場地くんを嫌うはずがないのに。
 いつも語り合っている八戒は、そう確信していた。胸が締め付けられそうになり、ぎゅっとくちびるを噛む。 
「ヘンなこと聞いて悪かった。三ツ谷によろしくな」
「場地くん!」
 腰を上げて去ろうとする場地の腕を、八戒はぐいっと引き戻した。
「危ねぇだろ、急に引っ張んな!」
「千冬は場地くんのこと、大好きだと思いますよ」
「兄貴なのは嫌だって……」
「でも、場地くんのことを話すときの千冬って、すげぇ優しい顔をしてるから」
 気付けば必死に訴えている自分がいた。
 大切に想っているはずなのに、すれ違ったままでいるのはきっと寂しいことだ。不器用な愛情をぶつけてくる兄を思い浮かべながら、八戒は長く息を吐いた。
「何か理由があるかもしんないスよ。訊いてみたらいいんじゃないっスか?」
「……そうだな」
「それに千冬のヤツ、場地くんの写真を待ち受けにしてたから。ぜってぇ好きっスよ!」
 力強く拳をつくり、ニッと笑いかける。
「場地くんて猫好きなんスね」
「なんだよその写真。オレは知んねーぞ」
 場地は琥珀色の瞳をぱちりと瞬かせる。
 そういえばあの写真、場地は猫の方に夢中で、カメラ目線ではなかった気がする。千冬がこっそり隠し撮りをしたのかもしれない。
 ハッとして口元を押さえてみたが、すでに手遅れだった。場地の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「場地さん、こんなとこにいたんスか。探しましたよ」
「千冬ぅ! テメーなに勝手に撮ってんだ!」
 千冬の姿を見つけると、場地は走って彼に詰め寄った。状況を悟った千冬が恨めしそうな視線を寄越してきたので、ゴメンと眉を下げて目配せをする。
 揉め事か、とどよめく隊員の声が聞こえる。しかし、八戒は安堵してその光景を眺めていた。
「場地くんって、意外とかわいい人なのかもな」
 怒鳴ってるはずなのに、さっきから八重歯の覗く口元が緩んでしまっているから。
 八戒はくすりと笑って、携帯電話を取り出す。三ツ谷にどんな報告をしてやろうか。話したいことを指で数えながら、呼び出し音に耳を澄ました。