クローゼットから昨年購入したスカートを引っ張り出した。脚を通すと難なく履けて、我ながらスタイルのよさに口の端をつり上げる。普段はパンツで合わせることが多いが、今日は上品で柔らかな印象を与えるためのファッションだ。
着飾るのに気合いが入るのは、高校の同窓会以来かもしれない。いや、それ以上に浮き足立っている。だって今日は、一人息子の大切なひとに初めて会う日だから。
獣医学部に合格した圭介は、大学進学を機に一人暮らしをすることになった。中学では留年し、散々ヤンチャをしていた不良息子。難関大学に合格したなんて、母親の涼子でもいまだに信じられない。
けれど、目標を決めてから勉強に打ち込む姿には目を見張るものがあった。そういえば圭介は、昔から一度決めたら自分の意志を貫き通す強さのある子だった。
必死に努力して掴んだ夢。初めは進学に対して難色を示してしまった分、気持ちよく送り出してやりたいと涼子は思った。
「圭介、こっちの荷物まとめておくよ」
「おー」
そんな息子の性的指向を知ったのは、引越しの荷造りをしているときだった。
部屋の隅に見つけた雑誌の束。遠目からでもわかる肌色。涼子はすぐにそれが何なのか察した。
思春期の男子が性的なコンテンツに興味をもつのは自然なことだろう。動物図鑑にしか目を向けなかった圭介も、健全に大人へと成長している。むしろ安心感を覚えるくらいだ。
涼子は好奇心が疼いて、気取られないようにそっと表紙を覗き込んだ。
「え……?」
視界に入ったのは、予想外のものだった。
「あ、そっちは待て……!」
圭介が慌てて手を伸ばす。しかし、涼子はすでに雑誌を凝視していた。
「アンタ、男が好きなの?」
考えるよりも先に言葉が出てしまう。半裸の男が飾る表紙の雑誌を手に取りながら。
スッキリとした感覚だ。まるでサスペンスドラマの謎が明かされたときのような。圭介は母親似の凛々しい容姿で、優しい心根をもつ男の子。昔からモテているのに女っけがなく、バレンタインにチョコをもらってきても溜息をつくばかりで、ちっとも嬉しそうではなかったから。同性が恋愛の対象なら納得がつく。
息子から否定の言葉はなく、ただただ沈黙が横たわる。圭介は真っ青な顔で茫然と佇んでいた。
叱られるのを怯えるような子どもの目。涼子のお気に入りのマグカップを割ってしまったときと同じ顔だ。悪いことなんて、なんにもしていないのに。
「ああ……」
「そっか」
やっと絞り出したような声。涼子は軽やかに返事をする。
「彼氏ができたら紹介しろよ」
震える猫背をぽんと叩いてから荷造りに戻った。圭介がもう少し幼ければ、涼子は抱きしめていたかもしれない。だけど、思春期の息子に何と言えば正解かわからず、そっけない物言いになってしまった。
ちらりと横目でうかがう。圭介はくちびるをぎゅっと結んで小さく頷いた。険しかった表情がだんだんと柔らかくなっていく。
(そうだよ、安心しな。あたしはアンタの味方なんだから)
涼子は見ないふりをして、熱い瞼を擦りながら作業の手を動かした。
長い大学生活と国家試験を経て、圭介が東京に戻ってきた。会える距離なのに、めったに顔を見せにこない。獣医の仕事は想像以上にハードらしい。
気付けばもうすぐ十一月で大事な日だ。涼子は痺れを切らし、圭介に連絡をかけた。
「圭介、元気?」
『まぁな。何の用?』
「用がなきゃ連絡しちゃダメなのかよ?」
『そーいうわけじゃねぇけど……』
わざと突っかかると、困ったように言葉を濁らせる圭介。思わず笑ってしまう。
「たまには帰ってきな。もうすぐ誕生日だろ?」
『そういえばそうだな』
「ダチと祝う予定あったら、別の日でもいーけどね」
『あのさ……』
時々零れる吐息。圭介は歯切れの悪い口調で、何かを言いかける。涼子は耳を澄まして、じっと言葉の続きを待った。
『オフクロに紹介したいヤツがいるんだけど……』
ぼそぼそとした口ぶり。顔が見えなくてもわかる。圭介が照れているときのくせだ。涼子は通話越しなのを忘れて声を上げた。
「それって彼氏!?」
『おう』
「やったじゃん、圭介!」
『声でけぇよ』
圭介が隣にいたら背中をばしばし叩いていただろう。代わりに手近のクッションをぎゅっと抱きしめる。
ぶっきらぼうだけれど明るい声音。圭介の喜びが滲み出ていて、涼子も笑みを深くする。
「その人ってどこに住んでるの?」
『同じアパート』
「それならあたしがそっち行くよ! アンタの生活ぶりも見たいしね」
いたずらっぽく言うと、溜息が鼓膜を揺らす。きっと照れくさくて悪態をついているのだろう。
素直になりきれない息子にふっと笑んで通話を切る。すぐにカレンダーに丸を付けて、美容室の予約を入れた。
そうして迎えた圭介の誕生日。彼氏を紹介される日だ。約束の時間は夕方だが、予定よりも早めに着いてしまった。
白く綺麗に塗られた外装を見上げる。圭介の住むアパートは小さいけれど、一人暮らしには事足りそうだ。周囲には店もなく閑散としている。駅前でケーキを買っておいてよかった。
「待たせてもらえばいっか」
涼子は気にせず、ヒールの音を響かせてアパートの階段を上がる。控えていた部屋番号のインターホンを押した。
「はーい」
ドアが開き、そこに立っていた男の姿に目を丸くした。
「涼子さん!?」
「え……? アンタ、千冬だよね!?」
混乱したが、声を聞いた瞬間この男が誰なのか涼子はすぐにわかった。
松野千冬。圭介の親友だ。数年前まで団地に住んでいた少年で、圭介を慕っていた子。
いつも圭介の後を嬉しそうに追いかけていて、弟がいたらこんな感じなんだろうなぁと涼子は微笑ましく見守っていた。
気合いの入った金髪は黒に染められている。騒がしい子犬のような少年は、落ち着いた物腰の青年に成長していた。
「千冬ぅ、見ないうちに男前になったね!」
「あざっす……!」
「あれ? でもなんでアンタがここに?」
再会を喜び合った後、涼子は首を傾げる。部屋を覗くと圭介の姿はないみたいだ。
「もうすぐ場地さんが帰ってくるんで……、そこで話させてください」
どこか神妙な面持ち。目の前の千冬はスーツを着て髪をセットし、他所行きの格好だ。気合いを入れてきた涼子みたいに。
部屋に通されてクッションに腰を下ろす。涼子は名探偵さながらに推理して、千冬を指を差した。
「なるほどね。アンタも呼ばれたんでしょ?」
「え?」
「圭介が彼氏を紹介してくれるって。まさか千冬にも声かけてたとはねぇ」
涼子はひとり納得し、腕を組んで頷いた。
大学進学後、圭介から千冬の話題をさっぱり聞かなくなったから、てっきり疎遠になったのだと思っていた。
けれど、大人になっても縁が続いていて、マイノリティな恋愛の相談までできる間柄なのだとしたら胸が温かくなる。
「あの子、千冬のこと家族だと思ってるよね」
「はは……」
冗談っぽく言うと、千冬は曖昧に笑いながら視線を泳がせた。てっきり調子良く乗ってくるかと思っていたのに。
涼子が訝しげに目の前の男をじっと見つめていると、がちゃりとドアが開く音がした。
「あっ、場地さんだ!」
千冬は立ち上がり、玄関のほうへぱたぱたと向かった。まるで飼い主を待つ犬のようで、圭介を慕っていた少年の頃の面影を感じさせる。
「おかえり、場地さん」
「千冬ぅ、疲れたー」
涼子もすぐに声をかけようとしたが、遠くから見る圭介の姿に息を呑んだ。
「休暇とったのになかなか上がれなくてよぉ、でもなるべく診てやりてぇじゃん? だからすげぇがんばった」
だらしない声をだして千冬に抱きついている。他人に甘えるのがへたくそなあの圭介が!
涼子は口に手を当て、まじまじとその光景を見守っていた。
「お疲れさまです。でも場地さん、今はちょっと離れて……っ」
「あ? 充電させろよ。もーすぐオフクロが来ンだから」
「もう来てます……」
圭介の肩を引き離し、千冬は消え入りそうな声で部屋の奥を指す。涼子とぱちりと目が合った瞬間、圭介はカッと眉をつり上げた。
「なんでいンだよ!?」
「ゴメン、早く着いちゃって」
「黙って見てねぇで声かけろや!」
「いやぁ無理でしょ、その空気に水を差すのは……」
茹でダコみたいに真っ赤な顔で喚く圭介。その横で居た堪れなそうに眉を下げる千冬。涼子は笑ってはいけないと思いつつ、両者を見ながら肩を震わせる。
どうやら息子の彼氏には、とっくに会っていたみたいだ。
*
圭介はコートを脱いでから手を洗い、座るとだいぶ気持ちが落ち着いていた。それでも涼子とはなかなか目を合わせてくれない。
無理もない。母親に恋人との甘いワンシーンを見られたのだ。涼子が気にしていなくても、圭介にとって火を吹くほど恥ずかしい出来事だろう。
千冬がコーヒーカップと皿をテーブルに並べて着座した。ハッピーバースディと歌い、ホールケーキを取り分ける。フォークでケーキをつつき始めるとやっと目が合い、圭介は隣の男を手で差し示した。
「オレの彼氏」
「松野千冬です! 圭介さんと交際させていただいてます!」
千冬はよく張った声で挨拶し、深々と頭を下げた。圭介が照れくさそうに頬を染めている。
大人にしては初々しいやり取りで、むず痒くなる。涼子は肩の力が抜け、くすっと笑みが零れた。
「千冬だったとはね。いつから付き合ってんの?」
「数日前からです」
千冬が簡単な馴れ初めを話す。再会してから芽生えた恋らしい。
「まさかほんとに自分の店をもつなんてね〜」
「オフクロ、千冬が店やろうとしてたの知ってたのかよ」
「言ってたじゃん? もしも圭介が受験に失敗したら、千冬のペットショップで雇ってくれるって」
圭介はきょとんとして目を瞬かせる。その隣で、千冬は口を開けて焦っていた。
ああ、そうだ。これは口止めされていた話だった。それでも涼子はにやりと笑い、構わず話し続ける。
「圭介が獣医になりたいって言ったとき、あたし反対したでしょ? あの後、千冬に説得されたんだよ。ちゃんと話し合ってほしいって。受験に落ちるのが心配だって話したら、『オレのペットショップで雇います』って言ってくれた」
コーヒーカップに口をつけ、過去に思いを馳せる。きっとこの青年は、あの頃から圭介に恋をしていたのだろう。
「涼子さん、言わないって約束だったでしょ!?」
「そうだったっけ?」
すっとぼけると、千冬が慌てて詰め寄ってくる。圭介は俯いて長い息を吐き出した。
「圭介、アンタの彼氏かっこいーじゃん。惚れ直したろ?」
「うっせぇ、当たり前だろ」
ゆっくり顔を上げた圭介は、耳まで赤くして眸が潤んでいる。千冬はそれに気付いたのか、横から熱い視線を送っていた。
ケーキよりも甘ったるい恋人たちに胃がもたれそうだ。だけど彼らが幸せならば、涼子はこの上ない喜びで胸が満たされる。
「圭介、誕生日おめでとう。ペアのグラスだから二人で使いな」
「おう。ありがとな」
「ありがとうございます……!」
彼氏を知っていたら名前入りにしてたのに。だが贈り物をする機会は、この先いくらでもありそうだ。だって息子の恋人は松野千冬なのだから。
「これ食べ終わったら帰るね」
艶々とした大粒の苺を口に運ぶ。最後まで残していた苺は、存在を主張するだけあって甘酸っぱく爽やかな後味だ。涼子はコーヒーを飲み終え、帰り支度を始めた。
「おい、何帰ろうとしてンだよ」
「あたしがいても邪魔だろ?」
「そんなことないっス!」
「今夜の二時間ドラマ、火サスの役者たくさん出てンだよ。観るよな?」
「一応録画してんだけど」
「オレの料理、涼子さんにも食べてもらいたいです」
じっと訴えるような目。まるで息子がもうひとり増えたみたいだ。涼子は笑いながら、手に取ったコートをハンガーに掛け直した。
「わかった、夕飯食べてくよ。ドラマの犯人当て、今日もあたしが勝つからな!」
「涼子さん……!」
「テレビ欄見ながら当てンなよ、絶対」
涼子は息子たちを見て顔を綻ばせた。夜は三人で料理を囲んでテレビを付ける。
知らないアパートの一室なのに、慣れ親しんだ団地のような温かさがそこには漂っていた。
*
二時間ドラマを観た後、場地は駅まで歩いて母親を見送った。その道中、現状の報告と、感謝の気持ちを伝える。不器用な言葉でも、涼子はがっつり受け止めて破顔した。
「もう心配なんてしないよ! これからは千冬がいてくれンだろ?」
にやにやと笑って腕を小突かれる。場地は眉を顰め、その手を思いきり振り払ってやった。
しかし、いくら悪態をついても母にはお見通しらしい。最後まで嬉しそうに笑みを浮かべながら帰っていった。
何も羽織らずに家を出たせいか、秋の夜風が冷たくて肩をすぼめる。場地はぬくもりが恋しくなって、アパートまで駆けていく。
「おかえりなさい!」
ドアが開いた瞬間、千冬が両手を広げて出迎えた。場地は恋人の胸に顔をうずめる。今度こそ、誰も見ていない。待ち焦がれた抱擁が返ってきて、満足げに目を細めた。
「ただいま」
「お疲れさまです。涼子さんに挨拶できてよかったです」
「オレも……、オフクロと色々話せた。ありがとな」
背中をぽんぽんと撫でられて向き合うと、軽い口付けをしてくすりと笑う。
部屋に上がると温かい空気がふわりと肌を撫でる。千冬はコーヒーを淹れ直してくれた。
「オレって受験失敗しても、就職先があったんだなぁ」
しみじみと話を蒸し返すと、千冬はコーヒーを噴き出しそうになって咳込んだ。
「わ、忘れてください。オレも若かったんで……」
「何言ってンだよ。実際、店長になってるじゃん」
場地は微笑んで、千冬の左手に指を絡めた。
進路で悩んでいた時期、獣医の道を反対していた涼子が突然歩み寄ってきたことがあった。もしかしたら、千冬と涼子が話した日だったのかもしれない。
「ますます惚れ直した」
素直に伝えてぎゅっと手を握りしめる。熱っぽく見つめると、千冬が覆い被さってきた。
「んっ……、このままヤるとスーツ皺になンぞ」
「もう、圭介さんが可愛いこと言うからっ……」
ちゅ、ちゅ、と音を立てながらキスの雨が降ってくる。熱い手のひらが場地の頬を撫でた。
「千冬のペットショップで働いてみたかったな。オメーの働いてるとこ見ンのけっこー好き」
「じゃあ、オレの店に病院をくっつけたらどうっスか?」
「動物病院併設のペットショップかぁ。いーじゃん!」
提案に乗ると、千冬は少年のようにきらきらと目を輝かせた。いつの間にか色っぽい空気が薄れ、場地も上体を起こして夢中で話し始める。
まるで夢物語だ。だけど、千冬とだったら何だって叶えられそうな気になってしまう。
「今度はオレの母親にも紹介させてくださいね」
「キンチョーするな……」
「大丈夫っス。惚れた相手が男性だってことは言ってありますから!」
千冬はシシッと笑いながらぎゅっと抱きしめる。
「圭介さん、誕生日おめでとう。愛してます。ずっとそばにいさせてくださいね」
「放すかよ、タコ。……オレも愛してる」
両手に溢れる愛を抱きしめて、未来を歩いていく。一途で頼りになる、年下の恋人といっしょに。

