日焼け

 心地よい疲労感に包まれ、水が滴り落ちる。凪いだ水面は陽射しを受けて、きらきらと輝いていた。
「入れてよかったな、プール」
 蛇口を捻ると、噴き出るシャワーの音に紛れて相棒の声が聞こえた。
「こないだ雨だったじゃん?」
「あー、あれはサイアクだった」
 千冬も並んでシャワーを浴びながら、苦々しく呟いた。小雨のなか、歯を震わせて水に浸かったことを思い出す。今日は先週とは打って変わってプール日和だ。頭から浴びる冷水も、心地よく全身に染み渡る。
「女子の水着姿よかったよな」
 武道と顔を見合わせる。いや、オレじゃない。二人同時に声の方へ振り向くと、キリッとした顔つきの男が立っていた。
「マコト……、オマエ相変わらずだな」
 武道は蛇口を締めながら、悪友の発言に苦笑した。マコトとは千冬も話すようになり、今では同じ東卍の仲間だ。いつも固めている黒髪は下りていて、誰なのかすぐには気付けなかった。
「男なら気になんだろ! な、千冬」
「オレに振んなよ!」
 肩に手を置かれ、千冬は訝しげに払いのけた。興味がないといえば、嘘になる。しかし、身近な同級生をそういう目で見る気が起きなかった。
「タケミチならわかんじゃね? 彼女もちだし」
「水着かぁ……」
 視線を空に向けたまま、武道はぼうっとする。
「顔、緩んでんぞ」
「タケミチってば、やらしー」
「な、そんなんじゃねぇって!」
 武道は顔を赤くして、首を横に振った。
「好きなコのいつもと違う姿って、ドキッとするじゃん!」
 慌てて弁解する言葉に、千冬は大きく頷いた。
「それならわかるぜ、相棒」
「だろ?!」
「千冬、好きなヤツいんの?」
「いや、マンガで読んだ」
「マンガかよ」
 期待外れの答えに、マコトは肩を竦めた。
「なんだ。オレはてっきり場地くんかと思った」
「確かに、場地さんのいつもと違うとこは全部チェックしなきゃな!」
 武道の軽口にシシッと笑って返す。意中の相手がいない千冬にとって、今一番注目してるのは憧れの男だ。きっと泳ぐ姿もカッケェんだろうな、と想像しては心が弾んだ。
「やべ、ゴーグル忘れたかも。取ってくる」
「先に行ってるからな」
 千冬は二人に軽く手を振り、元来た道を辿る。プールサイドはすっかり乾いていて、鉄板の上にいるみたいに跳ねながら歩いた。

 ゴーグルは心当たりのある場所になく、思わぬ手間を取った。教師が忘れ物として預かっていたらしい。校舎に戻る生徒とすれ違い、遅れて更衣室へ向かう。ドアノブを引くと、憧れのひとと鉢合わせた。
「場地さん!」
「千冬ぅ、オマエのクラスさっきだったろ」
 水着に着替えた場地は、カラッとした笑みを向けた。
「オレは忘れもんして……。次の時間、場地さんのクラスだったんスね」
「おう。さっきタケミチとマコトにも会ったぜ」
 場地は気怠そうに、長い髪をかき上げた。暑い日によく胸元を開けている姿を目にするが、ここまで露出のある格好は初めてだ。
(やっぱカッケェな……)
 鍛えられた腹筋は綺麗に割れていて、均衡のとれた体つきだ。腰にかけてきゅっと引き締まったラインを描いている。機能性を重視した水着は肌にくっついて、脚の長さを強調させていた。涼しい目元も相まって色気を纏い、同性でも見惚れてしまいそうだ。
「どうした、ぼーっとして」
 顔を覗き込まれ、心臓がどくりと跳ねた。
「あ、いや。場地さん、焼けててカッケェっす!」
 千冬は我に返り、汗ばんだ手のひらを握り締めて力説した。こんがりと焼けた肌も初めて見る。
「マイキーたちと海行ったからな。すげぇだろ、色ちげーの」
 場地は朗らかに笑い、自身の水着に親指を引っかけてぐいっと下ろした。その光景に、千冬は息を呑む。
 場地の右腰から脚の付け根近くまで、一気に外へ晒された。小麦色から薄く色の変わる境目が、くっきりと見て取れる。太陽の下に照らされ、布で隠れていた箇所は白く、艶っぽく映った。
「な、何してんスか! ここ外っスよ!?」
「更衣室の前だしヘーキだろ」
 見てはいけない気がして目を逸らす。だけどそれと同じくらい、もっと見たい衝動に駆られる。千冬は眉を下げて俯いた。
「タケミチたちに見せたら笑ってたぞ」
 場地は水着を整えながら、怪訝そうに呟いた。
 笑うのが正しい反応なのだと、千冬は遅れて気付いた。何を動揺しているのだろう。同じ男なのに。それどころか、他の人にもそんな無防備なところを見せないでほしい、と思ってしまう。後ろめたさを誤魔化すように、頭を振った。
「楽しそうっスね、海。いいな」
「じゃあ今度連れてってやるよ、二ケツしてさ。潮風サイコーだぜ?」
 場地がニッと笑い、白い八重歯が零れる。
「マジッスか!? よっしゃ!」
「その代わり、宿題手伝って」
「もちろんスよ!」
 千冬は破顔して声を弾ませた。心に降った小雨が晴れ渡っていく。場地の言動ひとつで、千冬の気持ちは天気みたいに変わってしまうらしい。
「チャイム鳴ってんぞ」
「もう諦めたんで、ゆっくり行きます」
「そうかよ」
 始業のチャイムが蝉の声に混ざって鳴り響く。潔い返事に場地は笑いながら、タオルを投げて寄越してきた。
「わっ、何スか?!」
「千冬の髪ってさ、濡れてっときらきらすんだな。初めて見た」
 わしゃわしゃと金髪をタオルで拭き、場地は眩しそうに目を細めた。優しく緩められた目元を捉え、心臓を掴まれたようにカッと熱が灯る。
「海、楽しみだな!」
 場地は軽い足取りでシャワーの方へ向かった。その背中を見送りながら、胸にそっと手を当てる。
「うそだろ……」
 どくどくと速まる鼓動。瞼に焼き付いて離れない日焼け跡。相棒の言葉が脳裏に響く。
―――好きなコのいつもと違う姿って、ドキッとするじゃん!
 千冬はさっきから、初めて見る場地の姿にドキドキしっぱなしだ。身体の反応は正直で、言い逃れができない。
「あちぃ」
 千冬は長く息をついて項垂れた。冷めない熱の正体は、きっと暑さのせいだ。芽生えた感情に蓋をして、もう少し気付かないふりをして、輝く夏の海へと思いを馳せた。