夏のおみやげ

「あーっ、終わんねぇ」
 夏の昼下がり。机に向かったまま、場地圭介は頭を抱えていた。夏休みは八月に入ってからが、あっという間な気がする。カレンダーに目をやると、始業式まで二週間を切っていた。
 真っ白な問題集に再び視線を戻した途端、ちょうどインターホンが鳴った。
「場地さん! こんちは!」
 はつらつとしたよく通る声。留守の母親に代わって出迎えると、そこには年下の親友が立っていた。
「千冬ぅ、もう帰ってたんだ」
「これ、おみやげです。こっちはかーちゃんから」
「わざわざありがとな」
 千冬からビニール袋を受け取る。盆に母親の田舎に行くという話を夏休み前から聞いていた。目の前の顔をよく見ると、少し日に焼けて赤くなっている。
「上がってけば? 外あちぃだろ」
「あざっす!」
 元気よく返事して部屋に上がる。久々に見る千冬の笑顔は、夏の太陽みたいに眩しかった。

「宿題やってたんスか!? えらっ…!」
「去年オフクロにすげぇ怒られたからな」
「オレもまだ終わってないんスよね。あとで一緒にやってもいいスか?」
「おう、オレも助かる」
 二人分のグラスと菓子を運ぶ。テーブルに置くと、学習机から離れて千冬も腰を下ろした。扇風機に当たり、冷えた麦茶でゴクゴクと喉を潤す。
「田舎どうだった?」
「晴れててすげぇ海きれいでした! 魚もうまくて、それから……」
 勢いのよい声が、だんだんと歯切れ悪くなる。
「これ、もういっこ、場地さんにおみやげなんスけど」
 千冬は迷うようなそぶりを見せ、ポケットから取り出したものを握らせてきた。ごつごつした感触。開くと渦を巻いた大きな貝殻が、手のひらにちょこんと乗っている。
「貝殻って、波の音が聞こえるっていうじゃないっスか。海見てたら、場地さんにも見せたいって思ったんスよね」
 千冬は照れくさそうに頬をかいた。日焼けで赤みがかった顔が、いっそう濃くなる。
「千冬って、たまにクセェことするよな」
「キモいっスか?!」
「いーんじゃね? ありがとな。もらっとくワ」
 くすぐったくて、つい軽口をたたいてしまった。貝殻を当てて耳を澄ますと、ザァッと波の音がする。瞼を閉じれば、砂浜を駆ける千冬の姿が目に浮かぶようだ。
「場地さんはどっか行きました?」
「オレは祭りの手伝いぐらいだな。オフクロが屋台しててよー」
「楽しそうっスね!」
「マイキーや一虎が来て、勝負させられて散々だった」
 思わず溜息が零れる。あの勝負に千冬がいたら。きっと自分に加勢するのだろうな、と容易に想像できて苦笑した。
「勝負って何したんスか?」
「スーパーボールすくいと、あとは……」
 場地はちらりと部屋の隅に目をやる。こっそり置いていたものに手を伸ばし、千冬に向かって投げて寄越した。
「それ、やるよ」
 雑に放ったのに、千冬は上手く反応して片手で受け取る。手の中を覗き込んで、蒼い瞳をぱちぱちと瞬かせていた。
「ヨーヨーだ!」
「三ツ谷が妹に取ってたから、オレも千冬にやろうかなと思って」
「あざっす! 懐かしいなぁ」
 千冬は輪ゴムに指を通して、ヨーヨーを何度も手でついた。ばちばちと音を立て、四方に弾む水風船。まるで千冬の心をそのまま現してるみたいだ。子どもっぽいかと懸念していたが、あげて正解だったなとホッと息を吐いた。
「オメーのことだから、行きたかったって喚くかと思ったワ」
「そりゃ行きたかったっスよ。場地さんに加勢できなくて悔しいっスもん! でも……」
 千冬は水風船を両手で包み込む。
「それ以上に、場地さんがオレのいないとこで考えてくれてたことが、すげぇ嬉しくて」
 睫毛を震わせて、噛み締めるように呟いた。
 同じだ。貝殻を手にしたときの、くすぐったい感覚と。言葉にされると腑に落ちて、頬が熱を帯びていく。
「これ、オレの好きな色ですよね」
「偶然だろ。ヨーヨーなら、ペケJと遊べそうだと思っただけだし」
「ペケのことまで考えてくれてたんスね!」
 ずいっと身を乗り出して見つめてくる。
 だめだ。何を言ってもこの男を喜ばせてしまう。場地は眉根を寄せて、小さく呟いた。
「その……オレも同じだから」
「場地さん……?」
「何でもねぇ。いいから早く宿題持ってこい」
 気になります!と犬のように喚く千冬。場地はふっと笑んで、背中を追い出してやった。

 ひとり残された部屋で、テーブルに置いたままの貝殻に手を伸ばした。
「やっぱ聞こえる」
 耳に当てると、自然に口元が綻んでしまう。
 穏やかに広がる波の音。だがそこには、どくどくと高鳴る心音が混ざっていた。